夏の北欧と古都サンクトペテルブルグ、モスクワの旅

                      1997年8月18日からの12日間

この旅行の計画に当たっては、結婚10周年を記して早々と4月末の申し込みを致しました。

それは、北欧とバルト3国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)の旅でした。

出発一ヶ月程前に旅行会社より、ツアー不催行との通知が有りました。

そう、初めてパンフレットの出発日が保証されたものではない事を知りました。

海外旅行の経験は、夏/冬スキー、結婚式及び新婚旅行などで色々有りましたが、ツアー経験は有りませんでした。

その様な訳でそれからが大変、パンフレットの収集。

しかし、同じ旅はなかなか見つかりません。そこでABロードを購入致しました。

これは凄い、見れば見る程夢が膨らむ旅行が一杯有ります。しかし、帯に長し襷に短しでなかなか決められなく、

結局タイトルの旅となりました。

今でも思い出しますが、内容、日程、費用更に催行される条件を選び出す事は大変な作業でした。

 

<旅行過程の概要>

1日目  成田空港をお昼に出発して、14時間位でパリに到着。空からのパリ市内は、想像していたイメージとは随分異なっていて、

      大都市とは感じられませんでした。数時間の待ち後、コペンハーゲンに向かい夜の8時頃ホテルに着きました。

      食後に、チボリ公園に行かれた人達もいましたが、我々は、長旅の疲れが有り休むことにしました。この時期のチボリ公園は、

      確かPM11時位までオープンしていました。

wpe1.jpg (5197 バイト)

 

2日目 デンマークの観光。先ずは、アンデルセンの人魚姫の観光。この像は何度か盗難にあったとの事でした。

     岩に上に腰掛ける彼女は、初々しく可愛らしいものでした。そう、彼女もこの国の若い男女もスタイルの良さには、

     目を見張る思いがしました。そうゆう人達が自転車に乗っている、ここコペンハーゲンでは、自転車専用車線があります。

     夕刻航空機にてノールウェーのベルゲンに向かう。夜の10時頃ベルゲンのホテルに着き、遅い夕食となった。

 

3日目 ベルゲンの観光。昔は、鰊、鮭などで栄えた漁港の様です。港の広場では市場が開かれていました。

     ここで売られている物でお土産として良かった品は、ランプフィッシュのキャビアで20〜30g入り3瓶を真空パック

     にしてあるものが1000円位だったと思います。パッキングも安心ですのでお勧めします。

     午後は、バスにてフィヨルドの中継地点に向かう。景色は岩山の間を抜けていくようでした。

     途中で寄った湖の畔の町は、私の好きなニュージーランドのクインズタウンのようでした。

     その後の景色は更に岩山の谷間を通ると言った感じでした。

     夕方6時頃、絶壁に建つホテルに到着しました。もっともこの時間は、ここ北欧ではまだ太陽が燦々と輝いています。

     日没は、10時以降だったと思います。

wpe5.jpg (10347 バイト)

 

4日目 早朝5時頃、太陽は輝いています。 山道を登ってみました。植物、岩石等を眺めながら一時間程歩き廻っていました。

     熊か狼でも出てくるのではないかと心配で、拾った棒切れを片時も手放すことが出来ませんでした。

     黒っぽい石ころ数点をお土産として採取しました。

     野いちごも美味しく頂くことが出来ました。もっとも最初の一粒はなかなか口に入れられませんでしたが……

     7時ころの朝食後、バスで船着き場まで向かいました。ここから我々は、船にてフィヨルドの中を遊覧いたします。

     バスはバッグを積んだまま、オスロのホテルに向かうそうです。ドライバーさん“ご苦労さんです”宜しくお願い致します。

     両岸に千メートル級の山々がそびえ立ち、所々に雪渓が見え、幾つもの滝が現れます。

     この景色は、何度も訪れているニュージーランドのミルフォードサンドの様でした。かれこれ2時間位の船旅だったと思います。

     用意されていた昼食は、鮭のフリッターでした。これが分厚いのには驚きました。腹巾が30cm以上は有りそうです。

     とても食べ切れません。

     午後汽車にてノールウェーのオスロに向かう。途中、水量豊富な滝の傍にて停車。雪渓の有る高原を列車は行く。

     湖の避暑地に停車、ちょっと車外に出てみる。何と爽やかなことだ。北欧は全体が避暑地ではあるが、

     この年の夏の気温は30℃を越えていたのでこの気持ちは分かるでしょう。

     5〜6時間もかかってオスロ中央駅に到着、流石に足腰が痛い。ホテルに着いたのは、夜の8時頃で、まだ日中です。

wpe17.jpg (11004 バイト) wpe17.jpg (11004 バイト)

 

5日目 早朝の散歩。いつもながらこれが一番涼しくて気持ちが良い。公衆電話でクレジットカードを利用して会社に電話を入れてみた。

     日本時間の午後である。特に緊急性の用件は無しとのこと、この数分間以外は頭上に仕事の事は無かった。

     オスロ市内の観光。冬季オリンピック会場のジャンプ台に立つ。高い....

     夕刻航空機にてスウェーデンのストックホルムに向かう。ホテルに到着したのもかなり遅く、夕食はやはり10時位だったと思う。

wpe6.jpg (10483 バイト) wpe17.jpg (11004 バイト)

6日目 ストックホルム市内の観光。ノーベル授賞式が行われる市庁舎、今私は、この素晴らしい場所に居ることが、

     本当に信じられなかった。

     ダウンタウンでの散歩、石畳の重みがしっかり感じられる。両脇の中世の建物に燦々と輝く光が北欧のベニスを物語る。

     メーレランの湖は、今にもその麗しき姫君が現れんばかりであった。高台の出店で戴いたソフトクリームは、この美しい町並みを

     眺めながら身も心も満足するばかりで、冬景色のこの町は本当に素晴らしいだろうと想像せずにはいられませんでした。

     夕刻船にてフィンランドのヘルシンキに向かう、そうこれがシリアラインです。数万トンの船で、正しく洋上のホテルと言っても

     過言では有りません。キャビンもそれなりのスペースで、窓から見えるバルトの海は赤く染まっている様でした。

     夕食は、バイキングで本当に沢山の種類が有り、味も満足いくものでした。また今夜も、小林さんご夫妻、石川さんご夫婦と

     共に楽しい時を過ごさせて頂きました。

     カジノも有りましたが、夜風を感じたくて甲板でバルトの海原を見つめ、満足感に慕っていました。

     殆ど揺れも感じられません。いつの間にか熟睡したのでしょう・・・

wpe9.jpg (12351 バイト) wpeA.jpg (11844 バイト) wpe1A.jpg (8328 バイト)
wpe19.jpg (8909 バイト) wpe1E.jpg (15606 バイト) wpeB.jpg (10425 バイト)

7日目 窓からの日差しはもう十分朝、しかしまだ5時位です。甲板に出て、風を感じます。遠くにはヘルシンキの街が見受けられます。

     船は時間調整をしているようです。早い朝食を戴く。朝の着岸、岸壁の近くの広場では、朝市が催されていました。

     ここで、子供のお土産を買い入れました。ネックレス、ブローチ、リストバンド等の小物で、これは結構喜ばれたお土産でした。

     ここは、ムーニンの国です。

     私の好きな曲で “フィンランディア” と言う名曲が有ります。そうこれは、この国の作曲家 シベリュース の作品です。

     この町には、ロシア聖教の建物が幾つか有りました。他の北欧諸国では、見かけることが有りませんでしたが・・・・

     午前中は、ヘルシンキ市内の観光で、午後、妻と家具店に入り北欧家具を見て回りましたが、これはと言う様な品は、

     なかなか見つけることが出来ませんでした。スーパーでは、キャビアが30g、6000円位で売られていました。

     夕食は、8時位だったと思います。初めてゆっくり夕食を戴く機会が持てました。夕食後は、私一人で近くのビアーバーに

     行き、カウンター席に腰掛け、愛想の良さそうなウエイトレスにビ−ルを頼み、少し話し掛けると他には誰もいないので

     私と雑談してくれました。

     その内、二人の女性達が隣りに加わりました。可愛らしい女性がバラの花を売りに来たので、真っ赤なバラ4本を買いました。

     一本は、ウエイトレスに、二本は二人の女性達に差し上げ、笑顔の感謝を頂きました。

     そう最後の一本は、妻えのお土産でした。その後、このバラはロシアまで行くことになりました。

wpe15.jpg (10405 バイト) wpe8.jpg (14109 バイト) wpe18.jpg (14858 バイト)

 

8日目 早朝バスにてロシアのサンクトペテルブルグに向かう。湖の国フィンランド、至る所に大小の湖が点在する。

     農村の様な処を2時間位走る。

     EUからの出国時の関税払い戻しの手続きを行う。品物とレシートが必要とのことでしたが自信を持ってレシートのみ提出し、

     ルーブルで頂く。そこから程なくフィンランド出国、バスに係官が乗車して来て少し見渡しただけ。

     緩衝地点を通りいよいよロシア入国のポイントです。

     バスから下車して、建物内に入り、一列に並び係官のチェックを受ける。今まで北欧の国々では、殆どチェックらしい事は

     必要としなかった。でも、ここは違う、そうKGBの暗躍していたロシアです。係官の目つきが異常に鋭い、我々も知らず知らずに

     緊張していた。この検問を通ると屋外になり、ここでやっと笑いが出てきました。かれこれ30分以上掛かったと思います。

     バスは、サンクトペテルブルグに向かって再び出発した。道路端でラズベリー、ブルーベリー等を籠一杯に入れて売っている

     人達が時々見受けられる。停車してくれればと思いつつ 、手を振り合うのみでした。

     昼食は、ロシア最初の町で戴きました。ここのレストランに、マトリョーシカや木箱等が一個200円位で売られていました。

     驚きました。本当に安い…

     その後に判るのですが、特にマトリョーシカの色、顔の出来具合が値段に比例していた。

     最初のロシア人との会話は、おばあさんで、私に近づき話し掛けてきた。もちろんロシア語で、でもこちらは英語。

     それでも数分位、お互いに喋っていました。

     此の辺りは平旦地で、そんな景色も見飽きた頃、大きな街に入ってきた。目的地、サンクトペテルブルグです。

     郊外の超ビックなホテルには、夕方到着した。ホテルの裏側は、これまた大きなコンクリート畳の広場で、その先は堤防があり、

     海辺と成っていました。

     この広場の中央には、道路があり二、三台の高級車が停車していて、車内や、その脇には数人のロシアンマフィヤらしき

     人達を見かけました。もちろん黒のサングラススタイルで、その後もこの広場では、彼らを見かける事が多く有りました。

     良い話では、この広場で、壁打ちテニスをしていた10〜12歳位の女の子がいて、おばあさんがその近くで見ていました。

     私が話し掛けると、おばあさんは愛想良くうなずき、その子を呼び寄せました。その子は、英語を上手に喋ることが

     出来たのです。

     名前は、確かマーシャだったと思います。テニスがかなり上手で、マーシャの父はテニスのコーチをしているとの事でした。

     色々な事を、楽しそうに教えてくれました。次の日は、マーシャの父が指導している様を見ることが出来ました。

     この時のマーシャは、テニスプレーヤーそのもので、この二人の表情の厳しさは、私が中に入ることを拒みました。

     マーシャは、いつか世界的なテニスプレーヤーに成るのではと、強く感じました。

     このホテルでは何故か、パスポートをレセプションに、預けなければ成りませんでした。

     ルームフロアーの通路に何ヶ所かドアが有り、ルームキーで解除して通過するように成っていました。

     これはモスクワのホテルも同様で、これで安心と考えるのは、危険です。

     むしろ、これ程、危ないと考える方が大切です。

wpe1D.jpg (11596 バイト) wpeC.jpg (12979 バイト) wpeD.jpg (12048 バイト)

 

9日目 サンクトペテルブルグ市内の観光。ガイドさんは、日本語のとても上手な、ロシア人とは思えないちょっと気の弱い

     ゾーヤさんでした。

     此処では、もちろん、エルミタージュ美術館は最大のポイント。

     ピカソ、ゴッポ、ゴーギャン、ゴヤ、ルノアール、マティス、モネ、マネ、セザンヌ、ラファエロ、ルーベンス、まだまだ多くの画家の

     作品が所狭しと、置かれていました。絵画ばかりでなく、彫刻、陶芸、敷物、宝飾品、その他諸々の作品及び品物が

     置かれています。

     ロシア聖教のステンドグラスが、見事な色彩、絵柄でした。

     出店で、1000円位の10ピースのマトリョーシカと、500円位の小鳥のカタカタをお土産として買いました。

     マトリョーシカに関しては、数店の中で一番可愛らしい品を手に入れました。これらは、今でも我が家の貴重な飾り物として

     置かれています。

     昼食は、川の畔のレストランで戴きました。奏でられるピアンが、とても心地よい一時を与えてくれました。

     これ程の名ピアニストの演奏が、身近で聞けるなんて…・・

     午後からは、フリーの観光。小林さんご夫婦は、片手に地図という格好で颯爽と出かけて行きました。

     私共は、ゾーヤさんのお薦めで、一時間位の船上巡りを楽しみました。

     船内では、ワイン、ビア、勿論ウオッカそれに果物が戴ける様になっていました。

     また、ロシア民謡が奏でられていて、私共夫婦は事も有ろうにこの踊りに引き込まれる羽目に成りました。

     船上からの建物の眺めは、また格別なもので、一見の価値は十分有ると思います。

     特に、裏側からのエルミタージュ宮殿は、遠近を楽しむ事ができました。

     郊外でよく見掛けた光景で、直径30cmを越える様な西瓜が、山積みで売られていました。

     大の西瓜好きの私共には、こたえられません。

     なんとなんと、一個が100円以下でした。

     あまりの大きさにどの様に扱えば良いのか困ってしまい、結局買わずじまいで今でも残念な思いがしています。

     この夜の夕食時に、それは手に入れる事が出来ました。

     食後のコヒーを戴いている時、ウエイターが私に近づいてきて、脇の下から小さな瓶を見せてくれました。

     瓶の蓋には魚の姿が描かれています。そう、これは紛れもなくキャビアでした。

     値段を聞くと、90000ルーブル(この時の為替は、約2円/100ルーブル)。確か45g入りだったと思います。

     ロシアから持ち出せるキャビアの量は、一人120gまでだと聞いていたので、私共二人分として5缶を買い入れました。

     本当に貴重なお土産と成りました。これが偽物若しくは不良品であったとは、思えません。

     ただこの事は、他の方々にお勧めする事では有りません。くれぐれもお気をつけ下さい。

     モスクワの免税店でも、同一品を見掛けましたが、価格は比べようが有りません。

wpe7.jpg (7817 バイト)

 

10日目 午前中は、昨日に続いてサンクトペテルブルグ市内の観光。その後空港に向かいました。

     昼食は、ここのレストランで戴きました。

     ちょっと変わった事ですが、モスクワ行きの飛行機の中では、数多くの蠅が元気良く飛び回っていました。

     もっとも良く考えれば不思議な話では有りませんが、今まで見掛けなかっただけです。

     なおモスクワまでは、2時間位の飛行だったと思います。

     夕方、赤の広場の近くの大きなホテルに到着。この日の夕食は、このホテルの奥にあった小さなレストランと言った感じの

     ところで、特大のニジマスをバター炒めで戴きました。食後は、一時をおいて、二人で赤の広場に歩いて行きました。

     この広場は、思ったより狭く感じました。ここを通り越し、小さな公園で座って人々の仕草を暫く、眺めていました。

     家族、若者、男女何処でも同じです。

     一時間程散歩して、ホテルに帰り、この旅最後の地の夜の締めくくりとしました。

 

11日目 この日の朝は、これまでよりゆっくりと目が覚めました。帰国に向かって時間が少しずつ過ぎてゆきます。

     そんな中、少し遅めの朝食をいただく。ホテルを出て、昼間の赤の広場をもう一度歩いてみた。

     広場では、小さな人集りがあちこちに出来ていた。

     近くのショッピングモールで、モスクワのお土産を買い入れ、カフェで一杯のコーヒとこの地の香りを楽しみました。

     午後は、モスクワ市内の一部の観光。モスクワ川の辺にあるあの白のビィルディング、教会を思わせる様なモスクワ大学、

     真冬に来てみたい白鳥の湖等でした。他にも沢山の観光スポットがある様ですが、旅の最後では、この程度で十分でした。

     空港での、税関手続きは話に聞いていたように天下一品でした。確か通過までに一時間程度かかったと思いました。

     夕方成田に向かう。

wpeE.jpg (9703 バイト) wpe10.jpg (8429 バイト) wpe14.jpg (9174 バイト)

 

12日目 午前中に成田に到着。

     この旅行も、やっと終わりを告げる。後は、自宅まで無事に帰ることでした。

 

この旅行では、大阪の小林さんご夫妻、東京下町の石川さんご夫妻にお世話になりました。

特に、妻は両ご夫妻の娘の様に接して頂いていた様です。

この年の夏は、北欧にとっては異常に暑く、各都市で30℃を越える日々が続き、用意していたセーター、

カーデガン等は不要で、専ら半袖シャツの毎日でした。

食事に関しては、北欧では、サーモン、シュリンプのバーガー。これは、安価で量も多く良いのですが、

塩加減が少なく生臭さが有ります。ロシアでは、特大のニジマスをバター炒めで頂きました。結構いけました。

久方振りの海外旅行、本当に行って良かったと強く感じました。

これからお金の使い方が、変わる事に成りそうと思ったのは帰国した時でした。

 

追記

この旅行記は、3年前のことを少しずつ思い出しながら書きました。

間違がった記述をしているところも有るかもしれません。その節は、平にご了承下さい。

              濱 田 敏 秀     2000年4月24日

戻る